第13回|母子家庭で育てた娘が幸せな結婚をしてくれました
松本 美和さん【57歳・薬局店員・兵庫県】
シングルなりに恥じない教育をしてきたつもりです
私は、第二子の息子を妊娠している最中にシングルになりました。相手の方は産婦人科にお見舞いに来てくれたっきり、いなくなりました。実家の母が帰っておいでといってくれたので、娘を連れて、両親と病気の兄が暮らす神戸の実家に身を寄せました。
その後、私は資格を取りながら子供を育てるために働きました。 主に薬局で残業をこなしながら、両親に子供たちを見てもらいながらずっと働いてきました。 恋愛はありましたが再婚はしませんでした。 娘は出来がよく、また母の願いもあって幼いころから母子家庭なりに習い事をたくさんさせました。 感受性豊かに育ってほしかったからです。 書道やオーボエ、お茶などを習わせました。高校生のころは留学もさせました。
娘へは、片親であって申し訳ないとずっと思っていました。
ですが私と両親でできる限りのことをして、一般家庭に恥じない教育をしてきたつもりです。
27歳になった娘は、ほんとうにきれいになりました。 結婚する事になったときは心から嬉しく思うのと、また友達も多くて、たくさんの人が祝福してくれていた事に感謝しています。 自分はひとりでは生きられないこと、周囲に支えられていることを忘れず、周りと協調して生きていってほしいです。
子育てで大変だったことは、やはり私があまりにも残業を強いられるので子供と接する時間がなかったことです。
ですが我が家のしきたりとして、食後のフルーツは必須。いつもそこでコミュニケーションを取っていました。 甘やかしすぎたかもしれません。 娘はルックスは私に似て小柄であまり美形とはいえませんが、愛嬌があって友達が多くて自慢の娘です。 母子家庭であることを常に意識して、私を守ってくれていた娘。 私のほうが支えられていたと思います。
私は離婚歴があり、しかも妊娠中に別れているので、あまり結婚生活に関して偉そうなことはいえません。 ですが娘にはたびたび「一度は結婚したほうがよい」ということは常々申し伝えておりました。 やはり何事も経験ですので、失敗を恐れずチャレンジしてほしかったのです。 大学も無事に卒業し、最初の就職はすぐやめて派遣社員になりましたが、同い年の素敵な旦那さんを見つけてくれて本当によかったと思っています。
阪神大震災で自宅は倒壊しましたが留袖は無事でした

結婚式の留袖に関するエピソードですが、私のものは母があつらえてくれたものです。 私自身、忙しくて着用機会はなかったのですが、一番覚えているのは阪神大震災です。自宅が倒壊し、めちゃくちゃになりました。 命を確保し食料品などを持ち出した後、1週間ほどたってから、倒壊した自宅に救出に行きました。 タンスの上に2階が落ちてきて大変でしたが、中身は無事でした。 涙が出たのを覚えています。
今回着た留袖にはそのような思い出がありますね。 今はレンタルも便利でリーズナブルで良いと聞きます。
我が家は代々神戸市に住んでいますが、特にご当地事情というものはないと思うのですが、やはり町全体が洋風のつくりになっていますので、結婚式もどこかモダンですね。 つねに西洋の文化が入ってきており、洗練されていると思います。住んでいる人はどこか保守的で、若い女性のファッションを見てもコンサバな感じがします。
結婚式では着物の方も多いように思います。 治安も非常によく、教育レベルも高いぶん、生活コストはかかりますが、子育てには最適な環境です。 娘の家も神戸市内にありますので、子育てに良い環境を与えてあげてほしいです。
娘には私ができなかった幸せな結婚生活を歩んでほしいです。 私は定年も近いのですが、震災で住み慣れた実家が倒壊してしまい、70歳までのローンを組んで建て直しています。 そのローンの支払いがあるため、年をとっても働く予定です。 ですが私のことは気にせずに、幸せになってほしいです。 娘の負担にはなりたくないし、それにまだ後にできの悪い息子も控えています(笑)。 孫も二人生まれ、順調に歩んでいる娘。 平凡な家庭を築いてほしいです。