第35回|強さを育んだのは……
杉本 貴子(仮名)さん【55歳 奈良県】
主人の退職で生活が一変!

この30年間が順風満帆だったかというと、そうでない時期もありました。世間では「大手」の部類に入る会社に勤めていた私たち。当時は、「結婚して子どもができたら女性は会社を辞める」が主流の時代でした。なので、長女ができたのを機に、私は会社を辞め、専業主婦になりました。
それからの8年間。子どもたちと過ごした時間は、かけがえのない、大切で充実した時間でした。一緒に出掛けたり、お料理やお菓子を作ったり、PTA活動を頑張ったり……。
そんな生活が一変したのは、主人が「友達と一緒に会社をやるから」と言って、私に何も相談をせずに会社を辞めたことでした。主人は、会社員としてはまずまずの成果を出し、お給料も私が働かなくても貯金ができるくらいはもらえていました。
ですが……経営者には向きませんでした。収入が激減しても、お金の使い方は会社員時代と変わらず、貯金がみるみるうちに減っていきました。
そして、私は働きに出ました。娘たちには寂しい想いをさせるけれど、背に腹は代えられません。8年のブランクは大きく、私は元の会社を辞めたことを悔やみましたが、落ち込んでばかりもいられません。パートから始め、転職をしながら契約社員、正社員と順を追ってステップアップしていきました。
家計は私の収入で成り立つようになり、それと同時に忙しさも増していきました。特に正社員になってからは、毎日21時くらいまで会社で働いていました。家に帰るのは22時を過ぎ、娘たちの寝顔を見ながら「本当にこれでいいのか?」と切ない気持ちになった日が何度もありました。
主人は経営者には向きませんでしたが家事は意外と気に入ったようで、アルバイトをしながら娘たちの世話をしてくれました。そのおかげで、私は残業も出張もお酒の席もこなすことができ、役職もいただくまでになりました。
次女が「看護師」を選んだ理由とは……
長女はいつも協力的で、細切れの時間の中でいろいろと話もしたのですが、次女はどんどん離れていきました。中学生になると、「美味しいもの食べよう」とか「服を買ってあげようか」とか言っても、ついてこなくなりました。私は『いつかわかってくれる』と信じて、日々を頑張るしかありませんでした。
そんな次女が、将来を決めるときに言ったのが「看護師になる」でした。理由は、「病気の人を癒したい」などではなく、「時代が変わっても、一生、食いっぱぐれないから」でした。
彼女なりに女が働いて家計を支える苦労を分かってくれていたのかな……と思いました。そして勤めていた病院に入院してきた彼と、今回結婚することになったので、人生って巡り合わせなんですねぇ。
結婚式にあたり、着物のことなどまったくわからない私は、友人の勧めに従ってインターネットで黒留袖をレンタルしました。それが「和匠」さんでした。一式がセットになっていて、注文も簡単で、ちゃんと式の前に宅配されました。
当日は会場に持っていって着せていただき、それをまたパックして返送。びっくりするくらいの手軽さでした。主人はモーニングをお借りしました。結構大柄なのですが、サイズもぴったりのものをお借りできました。
娘のつれない態度は、実は……
式は滞りなく進み、私はどこか夢の中にいるような現実感のない想いにとらわれていました。
あんなに小さかった娘が結婚かぁ……と思うと不思議で仕方ない感じでした。長女は「私も頑張らないと」と隣で息巻いておりましたが。
両親への手紙で『できるだけ、自分のことは自分でして、お母さんの負担にならないようにしていました』と聞いたとき、娘のつれない態度は、反発というより気遣いだったのか……と思い当たり、涙が止まりませんでした。
おかげで立派に育った娘ですが、甘えたい時もたくさんあったろうになぁ……と思うと切なくなりました。でも今は隣に彼がいるから大丈夫かなぁ。
彼には素直になって、お互いで話し合い支え合える、幸せな家庭を築いてほしいと心から応援しています。