第44回|家庭を守れる人でいてほしいです
石田 真由美(仮名)さん【54歳 大阪府】
ひとり娘を送り出し……

このたび、ひとり娘を送り出し、これから主人とふたり、第二の人生を送ることになりました。娘が生まれてから今日まで、本当に娘一筋の生活でしたので、実際のところ、これから何をしていいかわからないくらいです。
あまりに娘に干渉するので、反抗期の頃は、「お母さんなんて大嫌い! お母さんみたいにだけはならない!」と物凄く拒絶されました。娘に大嫌いと言われるほど堪えることはなく、内心は私も大嵐が吹き荒れておりましたが、ここで母親がうろたえてはならないと、
「どんなときでも、お母さんはあなたが大好きよ」
と言い続けました。
おかげさまで、変な方向に向かうこともなく、まっすぐに育ってくれたと思います。
今では普通以上に仲良い母娘になれたと思っていますが、私のほうが子離れできていませんのでこれからが大変です。
旦那さんが安らげる家庭を築いてほしい
旦那さんになる彼は、大学の同級生で大手メーカーに就職しています。ここだけの話、『大企業に勤める=安定した暮らし=円満な家庭=女の幸せ』という刷り込みをしつづけたのは正解でした。
不安定なご時世ですが、やはりある程度は、腐っても鯛です。私たちが何不自由なく暮らして来られたのも、主人が毎月きちんとお給料を入れてくれたからです。だから娘には、ちゃんと家を整え、美味しい食事をつくり、旦那さんが安らげる家庭を築いてほしいと思っています。
最近では女の人の社会進出が取り沙汰され、娘にはよく「お母さんの考え方は古いのよ」と言われますが、外に働きに出たいなら、家のことがきちんとできてからやればいいと思います。
やはり『嫁』という漢字はよくできたもので、女は家を守るものだと思っています。お給料が多くなくても、決まった生活費の中で、より満足度の高い生活を送れるように工夫することがやりくりなんだと思っています。
そうそう、やりくりと言えば、結婚式の準備は、娘が「ネットでいろいろ調べてお得にできたのよ」と言っていました。私の留袖と主人のモーニングのレンタルもネットで見つけた和匠さんにお願いしました。一式が揃っているので、とても便利でした。
着物の柄も手触りも品が良く、申し分のないものでした。私たちのときは結婚式場での挙式で、式場だけを決めて、あとはパッケージみたいになっていましたので、正直あまり記憶がないのですが、今はいろいろと工夫ができるんですね。
留袖を着て結婚式に出席し、娘の幸せそうな笑顔を見ていると、小さい頃からのいろいろな出来事――よちよち歩きの頃には作りかけの熱いプリンを頭からかぶってしまい、大慌てで病院に駆け込んだことや、小学生の時に同級生とうまくいかず、お腹が痛いと学校を休み続けたこと、受験期なのに最後まで部活を辞めずに両立させたことや、就活で慣れないスーツを着て頑張ったことなど、今までのことが次から次へと思い出されて涙が止まりませんでした。
いつでも頑張り屋の真っ直ぐな娘でした。これからも、旦那さんのことや家族のことを真っ直ぐな気持ちで愛し、守っていってほしいと思います。
『母は家事のプロでした』
ところで、両親への手紙の中で、私は初めて娘の気持ちがわかった気がしました。それは『私は、ずっと家庭にいた母に対し、専業主婦だから世間知らずだと、私はもっと広い世界をみるのだと、反発して育った気がします。ただ大人になり生活を省みてみると、母がいかに家事のプロであったかを思い知らされました。料理にも掃除にも洗濯にも手を抜くことなく真摯に向き合い、常に居心地のよい状態がキープされていました』というものでした。 彼女は社会に出てキャリアを積みたい自分と、私の刷り込みとの間で苦しんでいたのでしょう。そんな彼女への答えになるかはわかりませんが、私も結婚以降初めて、外に働きに出てみようかと思うようになりました。彼女のいう『世間』がわかるかも知れませんからね。幸い家事に関してはプロ並みですし、やることもなくなりましたので(笑)。